━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★本書の詳細 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆タイトル:長寿の命題(The Longevity Imperative: Building a Healthier and More Prosperous Society to Support Our Longer Lives) ◆目次 序章:すでに与えられている「何年もの時間」 第1章:新しい時代——「若者が高齢になる」という初めての現実 第2章:私たちの老い方——「徐々に、そして突然に」 第3章:老いることはすべて良いこと——四人の文学的人物とドルで測る老化の価値 第4章:健康革命——予防なきシステムから老化の科学へ 第5章:経済的利益をつかむ——長寿を支えるのは貯蓄か労働か 第6章:お金とあなたの人生——貯蓄・保険・年金の再設計 第7章:人生の意味——なぜ延びた歳月は価値を持つのか 第8章:世代間の課題——なぜ若者は長寿を自分ごとにできないのか 第9章:期待の見直し——億万長者の実験室と人口の倫理学 エピローグ:愛の力 ◆著者略歴 アンドリュー・J・スコット(Andrew J. Scott) 1965年5月ロンドン生まれ。ロンドンビジネススクール経済学教授で、同校では世界経済および「長寿ビジネス」の講座を担当する。オックスフォード大学ワダム・カレッジの客員フェロー、スタンフォード大学長寿センターの客員研究員も務め、経済学と老化科学の橋渡しを専門とする。ロンドンビジネススクールの同僚リンダ・グラットンとの共著『100年ライフ』(日本では『ライフシフト』として出版)は世界的ベストセラーとなり、「100年ライフ」という概念を広めた。オックスフォード大学マーチン・エリソン、ハーバード医科大学デイビッド・シンクレアと共著した論文が学術誌『Nature Aging』に掲載されるなど、老化の経済的価値を定量化する研究でも知られる。本書『長寿の命題』はその研究の集大成であり、経済学者としての実証分析と、自身の家族の歴史をたどる個人的な視点を織り交ぜながら、長寿社会ではなく「常緑(エバーグリーン)社会」を目指すべきだと説く。 ◆ストーリー 私たちはすでに、人類史上初めて「若者が非常に高齢になることを期待できる」時代に生きている——スコットはこの一点から出発する。かつて長生きは少数派の特権だったが、今や多数派の現実になった。しかし社会の議論は依然として「高齢化社会」という後ろ向きの物語に囚われ、増える高齢者をどう支えるかばかりを問い、私たちがどう老いるかを変えるという本質的な課題を見落としている。本書はこの視点の転換を「常緑(エバーグリーン)のアジェンダ」と呼び、生物学・経済学・心理学・世代間の公平性という四つの角度から検証する。ストラルドブルッグ(不死だが老い続ける)、ドリアン・グレイ(健康寿命だけが延びる)、ピーターパン(老化そのものが遅れる)、ウルヴァリン(老化が逆転する)という四つの文学的シナリオを軸に、どの老い方が経済的にも人間的にも最も価値があるかを定量的に示し、医療制度、労働市場、年金・金融、そして老いをめぐる文化そのものに求められる変革を描き出す。老化科学の最前線から億万長者たちの延命投資、世代間の政治的緊張、そして人生の意味そのものに至るまで、長寿という「新しい時代」を生きるための実践的かつ哲学的な地図を提示する一冊である。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ ■■序章:すでに与えられている「何年もの時間」 ■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ もしあなたに今日もう1時間、あるいは1週間を七日から八日に、1年を十三ヶ月に延ばす贈り物ができるとしたら、それは魅力的に響くだろう。しかし著者アンドリュー・J・スコットは、私たちはすでにそれよりずっと大きな贈り物を受け取っていると指摘する。過去100年間、平均寿命は10年ごとに約2〜3年のペースで延び続けてきた。問題は、その追加の年月を病気や資源の枯渇への恐怖としてではなく、健康で生産的な時間として活かす準備が、私たちにできていないことにある。 ★ スコットはロンドンビジネススクールで世界経済を教えている。授業の冒頭で学生に今後数十年の主要トレンドを尋ねると、真っ先に挙がるのは人工知能と気候変動だ。人口動態の変化はいつも最後に、しかも「高齢化した人口と高齢者の増加」という平板で否定的なトーンで語られる。医療費の急増、年金危機、認知症、介護施設——「高齢化社会」という物語は、長い人生を機会ではなく問題として語ることを常態化させている。 ★ 本書が対置するのは「エバーグリーン」というアジェンダである。この語は元来、複数の成長期を通じて緑を保ち機能し続ける植物を指し、転じて「普遍的かつ継続的に関連性を持つ」ことを意味する。スコットの核心の主張は、真の課題が高齢者の数の多さではなく、かつては少数派しか経験しなかった「非常に高齢になること」が今や多数派の現実になったという、人間の条件そのものの根本的な変化に社会と個人が適応できていない点にあるということだ。この変化から生まれる新しい課題を、彼は「長寿の命題(The Longevity Imperative)」と呼ぶ。長い人生を得ること自体が目的ではなく、その人生でいかに良く老いるかが問われているのである。 ★ 本書は三部構成でこの命題に答える。第1部は長寿という現象そのものの重要性を、第2部は健康システム・経済・金融セクターに求められる変革を、第3部は老いをめぐる信念・文化・心理、そして世代間の公平の問題を扱う。個人の人生設計と社会全体の制度設計を切り離さずに論じる点に、本書の一貫した姿勢がある。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ ■■第1章:新しい時代——「若者が高齢になる」という初めての現実 ■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「長寿を持たなければならない」というヴィーナス・ウィリアムズの言葉を掲げてスコットが語り出すのは、自身の生い立ちである。彼は1965年5月にロンドンで一卵性双生児として生まれたが、兄デイビッドは生後数日で亡くなった。当時のイギリスで最も一般的な死亡年齢は1歳未満の乳児だったからだ。今日、その最も一般的な死亡年齢は87歳になっている。この転換こそ、人類の生活を変えた変化の中で最も根本的なものだとスコットは言う。 ★ ベケットの『ゴドーを待ちながら』は人間を「墓の上にまたがって生まれる」存在と描き、ホッブズは人生を「醜悪で、野蛮で、短命」と呼んだ。この暗い人間観は、歴史の大半において死が常に間近だった現実の反映である。しかしスコット自身の生涯だけでも、イギリスの平均寿命は71歳から80歳超へと9年延び、アメリカは70歳から77歳超へと7年延びた。アメリカのアクチュアリー協会によれば、今日生まれた子供が95歳まで生きる確率はすでに50%を超えている。 ★ スコットは自らの家系四代を辿ることで、この変化を数字ではなく実感として示す。曾曾祖父ジョン・スコットは1825年ケント生まれの労働者で、結婚証明書には「X」の署名しか残せず、1876年に51歳で没した。その息子ジョージは1859年生まれで63歳、孫ジャックは1889年生まれで75歳、そして著者の父ジョンは1925年生まれで77歳まで生きた。二人のジョンの誕生には正確に100年の隔たりがあり、その間に死亡年齢は26年延びている。これは人口学者ジム・エッペンとジェームズ・ヴォーペルが示した「ベストプラクティスの平均余命」——首位が長年スウェーデンから日本へと移り、1880年代以降10年ごとに2〜3年上昇し続けているという世界的トレンド——と正確に一致する。 ★ スコットはこの変化を天気予報に喩える。雨の確率が70%ならレインコートを用意するように、80歳まで生きる確率が70%あるなら備えが要る。実際、スウェーデンのデータでは15歳の子供が80歳に達する確率は1851年にわずか11%、1951年に36%、そして現在は約70%に達している。 ★ 長寿化は同時に少子化とも表裏一体で進んでいる。祖父ジャックは7人兄弟の一人だったが、著者自身は2人兄弟であり、米英の合計特殊出生率はすでに1.65まで落ち込んだ(フランス1.8、ドイツ1.5、イタリア1.2、韓国は0.8)。中国や日本では「4人の祖父母・2人の親・1人の孫」という逆ピラミッド型の家族構造が現実になりつつあり、中国全体で見ても65歳以上1人に対する15歳未満の子供の数は1950年の7.5人から今日は1.5人、2050年には0.5人まで減ると予測されている。 ★ 死亡率そのものを数式にした人物もいる。18世紀ロンドンのアクチュアリー、ベンジャミン・ゴンパーツはユダヤ教徒であったため大学に通えず独学で数学を修め、質問に答えられない会員には1ペニーの罰金を科すという奇妙な規則を持つスピタルフィールド数学協会の会員でもあった。彼自身は86歳まで生きたが、唯一の息子ジョセフは10歳で世を去っている。1825年に彼が導いた「死亡リスクは7〜8年ごとに倍増する」という法則によれば、フランスの例で30歳の死亡率は0.05%、38歳でその倍、90歳になると14%に達する。150年前には出生時の平均寿命がまだ40歳に満たなかったことを思えば、この法則が示す寿命の上限は決して自明のものではなかった。 ★ この法則に従えば人間の寿命には上限があるはずだが、フランスのジャンヌ・カルマンは122歳まで生きて記録を更新した。国連統計によれば世界の百歳以上人口は1990年の95,000人から現在は50万人を超え、2050年には370万人に達すると見込まれている。それでも現時点では、推定800〜1,000人しかいないスーパーセンテナリアン(110歳以上)になるより、推定2,640人を数える億万長者になる方がまだ確率は高い。2021年にはジェフ・ベゾスとユーリ・ミルナーが老化研究のバイオテック企業アルトス・ラボに30億ドルを投じてもいる。 ★ 一方でアメリカの平均寿命は2015〜2017年にわずかに減少し、コロナ禍の2020〜2021年には76.1年まで落ち込んだ。プリンストン大学のアン・ケースとアンガス・ディートンが「絶望の死」と呼んだアルコール・薬物・自殺による死者は2020年に187,000人、全死亡の約5%に達し、最富裕層1%と最貧困層1%の平均寿命差は男性で15年、女性で10年にもなる。医療費は一人当たり年間約11,000ドルと高所得国平均の2倍を費やしながら、この結果である。 ★ 政府はしばしば「老齢依存比率(OADR)」の上昇——イギリスでは1922年の11%から現在32%、2050年には46%の見込み——を経済悪化の予兆として語る。しかしスコットは、過去にOADRが同様に上昇した時期を経済史家が成長の障害として扱ったことはないと指摘する。19世紀の社会学者オーギュスト・コントの言葉を借りれば「人口統計は運命ではない」のであり、高齢化を負担と決めつける前提そのものが問われるべきだという。 ★ 長寿の課題は豊かな国だけのものでもない。2020年時点で世界の60歳以上人口約10億人のうち、高所得国に住むのは約3億人に過ぎず、残る7億人は低中所得国に暮らしている。南アフリカとインドの65歳以上比率は現在わずか6〜7%だが、2085年にはそれぞれ17%、24%に達し、現在のドイツやアメリカと同じ水準になる。 ★ 長寿がもたらす代償として、死因の中心は感染症から非感染性疾患へと移った。WHOによればコロナ以前の世界の死因上位10のうち7つが非感染性疾患で全死亡の約4分の3を占め、英国の癌慈善団体CRUKの試算では生涯癌罹患率は1930年生まれの33%から1960年生まれの50%に上昇している。世界では3秒ごとに誰かが認知症を発症し、患者数は現在の約5700万人から2050年には1億5300万人に達する見込みだ。しかし特定年齢での認知症発症リスク自体は10年ごとに約13%低下しており、癌の5年生存率も1975年から2016年の間に24種中21種で改善した。健康な年数と不健康な年数のどちらも同時に延びている——これがスコットの導く結論である。 ★ 非感染性疾患の広がりは糖尿病と肥満にも及ぶ。世界の糖尿病発生率は1990年から2017年の間に2倍以上に増加し、英国では約16人に1人、米国では約10人に1人が罹患している。世界の肥満人口は2016年時点で6.5億人を超え(成人の約13人に1人)、1975年から3倍に膨らんだ。5〜19歳の子供に限れば1975年の25人に1人から現在は5人に1人にまで急増しており、加齢関連疾患の芽は人生のかなり早い段階から蒔かれている。 ★ ギリシャ神話のティトノスは、女神エオスの願いによって不死は得たが不老を与えられず、永遠に老い続ける身となった。スコットはこの神話を、長寿への恐れの正体そのものとして提示する。健康を欠いたまま長く生きることこそが真の悪夢であり、だからこそ「どう老いるか」を変えることが、単なる延命よりもはるかに優先されるべき課題なのである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ ■■第2章:私たちの老い方——「徐々に、そして突然に」 ■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ スコットは自らの祖父母の対照的な晩年から論を起こす。音楽ホールのピアニストだった祖父ビル「フィンガーズ」パーマーは91歳まで生き、70代後半になっても鍵盤に座ると人が変わったように輝いた。身体は弱っても頭脳は最後まで鋭く、三つ揃いのスーツと懐中時計を欠かさなかった。一方、祖母レイチェルは88歳で没するまでにアルツハイマー病が進行し、介護施設で最終的に家族さえ認識できなくなった。ハイドパークでローリング・ストーンズの79歳のミック・ジャガーを見たファンが「私は40歳だけどあんな風には動けない」とSNSに投稿したように、老いの経験は年齢だけでは決まらない。 ★ WHOは老いを「時間経過に伴う分子・細胞損傷の蓄積」と定義するが、これは英作家マーティン・エイミスの言う「時間は誰もが見た目も気分も悪くなるという古来の仕事を続けている」のとほぼ同義の、死に取り憑かれた見方だとスコットは批判する。実際、6億語規模のアメリカの新聞・雑誌・書籍210年分の分析では、1800年代には老いが長い結婚や戦時の英雄主義、大家族、名誉として語られていたのに対し、20世紀には死、介護、老人ホーム、病気へと焦点が移った。長寿化が進んだにもかかわらず、老いのイメージはむしろ暗くなったのである。 ★ スコットは自らの「死生学的年齢」を計算してみせる。イギリス政府統計によれば自分の平均寿命は84年、総週数4,368週のうちすでに3,000週が過ぎ、残りは1,368週しかない。同じ暦年齢でも、この先どれだけの時間が残っているかは人によって異なり、それが行動を左右する。日本の女性の死亡率データでは、2019年の90歳は1983年の84歳、1947年の78歳と同じ死亡率であり、「90歳は新しい78歳」だと言える。 ★ 聖書の詩篇90篇は「私たちの年の数は70年」と記し、WHOも70歳未満の死を「早死に」と定義してきた。日本では女児の70歳到達率が1947年の40%から現在92%に達し、この「第一の長寿革命」はほぼ完了した。より急進的な「第二の長寿革命」はその先にあり、今日の日本では70歳の10人に1人が100歳まで生きると予想される。もっとも、癌を完全に排除しても平均寿命はわずか2年しか延びないという推計もあり、単一の病気を克服することの限界も示されている。 ★ イーロン・マスクは「人々が死ななければ古いアイデアに縛られる」と述べつつ「約100年の良い人生を」望むと語ったが、これは100歳まで生きることと不死を混同しがちな議論——ウサイン・ボルトの100m世界記録を破ることが、いつしか人間が空を飛べるかという話にすり替わるような混同——から自由な立場だとスコットは評価する。かつて天然痘は感染者の30%、猩紅熱は20%を死なせるのが常態であり、16世紀の思想家モンテーニュは「老衰で死ぬことは通常の秩序から外れているため自然ではない」と考えた。ノーベル賞生物学者ピーター・メダワーが老いを「動物を通常の危険から守るという最も不自然な実験によってのみ達成される」と評したのは、まさにこの逆転を捉えている。 ★ 著者自身が関わる「イギリス縦断老化研究(ELSA)」は2002年開始、18,000人以上のデータを持つ。55歳までの癌経験率は16人に1人だが74歳では5人に1人に上昇し、単語の記憶力テストでは55〜60歳で平均6.5語だったものが90歳では3.8語まで落ちる(ただし読書はアルツハイマー発症を最大5年遅らせる)。老いの多面性を捉えるために考案された「虚弱指数」——質問への「はい」の回答数を総質問数で割った値——によれば、EU10カ国7万人のデータで欧州人の虚弱度は年平均約2.5%上昇するが、イギリスの最も健康な90歳(上位10%)の虚弱度は最も虚弱な50歳(下位10%)の半分以下であり、老い方には巨大な個人差がある。 ★ ヘミングウェイが『日はまた昇る』で破産を「徐々に、そして突然に」と描いたように、老いも同じパターンを辿るとスコットは言う。ゴンパーツの法則が示す約7年ごとの死亡率倍増がこの「突然」を形式化しており、2019年のアメリカの80歳女性の死亡率は1933年の68歳と同じ(「80歳は新しい68歳」)である一方、2030年の80歳の健康状態は2020年の72歳に相当すると見込まれる。より良く老いる道は二つある。「徐々に」の傾斜をさらに緩めることと、アルバート・アインシュタイン医科大学のニール・バーザライ教授の言う「長生きするが、若いうちに死ぬ」——つまり「突然」の部分をより突然にすることだ。2021年のホラー映画『オールド』が30分ごとに1歳老いる恐怖を描いたのとは対照的に、この加速こそが理想の老い方なのである。 ★ 老いは再帰的なプロセスでもある。1万人のイギリス公務員を対象にした研究では、高血圧や糖尿病の発症が5年遅れるごとに将来の認知症リスクが18%低下することが分かっている。50代の過ごし方が60代の健康を決めるということだ。同時に不平等の問題も無視できない。イギリスでは50歳超の大学卒業者の虚弱度は、18歳未満で学校を離れた同年代より約35%低い。WHOが2021年に開始した「健康的老化の10年」が老いを病気ではなく「機能的能力の維持プロセス」と定義し直したのは、この視点の転換を制度化する試みである。 ★ 「秘訣は何か」と尋ねられたスコットが挙げるのは、派手な発見ではなく地道な事実の再確認である。臓器移植薬として使われるラパマイシン(1965年のイースター島の土壌サンプル由来)や糖尿病薬メトホルミン(1922年開発、フランスのライラック由来)が抗加齢薬として注目される一方、レスベラトロールやNAD/NMNといったサプリメントの長寿効果は証明されていない。寿命・老化の15〜30%は遺伝によるとされ、残りは環境と行動で決まる。サルデーニャ島や沖縄などダン・ビュートナーの「ブルーゾーン」5地域が長寿の理想像として語られるが、オーストラリア国立大学のソール・ジャスティン・ニューマンは、相対的貧困と書類の欠如こそが百歳以上記録を予測する要因だと指摘し、記録の誤りの可能性を示唆している。コメディアンのルシル・ボールが「若さを保つ秘訣は正直に生き、ゆっくり食べ、年齢について嘘をつくこと」と皮肉ったのも、あながち的外れではない。 ★ 効果が実証されている行動は地味だ。マイケル・ポランの「食べ物を食べ、あまり食べ過ぎず、主に植物を中心に」という助言や、キムチ・味噌などの発酵食品、睡眠の質、禁煙と節酒、5:2や16:8といった間欠的断食などである。40〜75歳の116,000人を対象にした12のヨーロッパ研究では、飲酒・喫煙・運動・BMIの4要因で満点を取った人は、最低点の人より慢性疾患なしで10年長く生きた。孤独や不幸は血液バイオマーカー上で生物学的年齢を1.65年押し上げるという研究もある。 ★ それでもなお、なぜ高齢化への恐れは消えないのか。シカゴの人口統計学者ジェイ・オルシャンスキーは、虚弱が集中する人生終盤の期間を「レッドゾーン」と呼ぶ。問題は死亡率の改善速度が虚弱の改善速度を上回っていることであり、私たちは人を生かすが健康には保たない医療システムを作り上げつつある。このレッドゾーンをいかに「グリーン」な健康期間へと変えるかが、次章で経済的な視点から論じられる問いへとつながっていく。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ ■■第3章:老いることはすべて良いこと——四人の文学的人物とドルで測る老化の価値 ■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ スコットの父はALSで77歳で亡くなり、最後は人工呼吸器を必要とした。手を握る母は「一緒にいることには喜びがある」と語ったが、その母自身も85歳で、危険を承知で望んだ股関節手術後の感染症で世を去った。長さと質のどちらを取るかという問いは、抽象論である前に個人の選択の問題だとスコットは言う。イギリスでは国民保健サービス(NHS)が1948年の設立から75年を迎え「史上最悪の危機」と報じられる中、国立医療技術評価機構(NICE)は1QALY(質調整生存年)あたり30,000ポンドという基準で医療の価値を判定している。脊髄性筋萎縮症の治療薬ゾルゲンスマは1回投与179万ポンドと世界最高額だが、新生児の平均寿命83年から生まれる巨大なQALYゆえに承認された。 ★ 3000年以上前のシュメール叙事詩『ギルガメッシュ』がすでに不死の植物を探す物語だったように、老いを克服する夢は古い。スコットはこの章で、老いの改善パターンを四つの文学的人物——スウィフトのストラルドブルッグ、ワイルドのドリアン・グレイ、バリーのピーターパン、マーベルのウルヴァリン——に喩えて整理する。 ★ ストラルドブルッグは1726年『ガリヴァー旅行記』に登場する架空の島ルグナグの不死の住人で、老いるが死ねない。80歳で法的に死亡扱いとなり働くことも財産所有も許されない。シモーヌ・ド・ボーヴォワールはこれを「老いの最も残酷な肖像」と呼んだ。スウィフト自身も78歳の誕生日を前に、おそらく認知症による衰えの中で世を去り、「朝目覚めるたびに昨日より人生への興味が少し欠けている」と書き残している。南カリフォルニア大学のアイリーン・クリミンズ教授の言葉を借りれば、私たちは「老化を遅らせることには成功していないが、死ぬプロセスを遅らせることには成功している」——これはまさにストラルドブルッグ的な達成である。 ★ 対照的にドリアン・グレイは、1890年のワイルドの小説で肖像画が老いる代わりに本人が若さを保つように、寿命は変わらず健康だけが改善するシナリオだ。キケロは『老年について』で情熱や欲望からの解放を老いの利点とし、ヴォルテールに「ローマの哲学者の中で最も優雅」と評されたが、健康の改善だけでは知恵や経験の蓄積という別の価値までは語りきれない。 ★ ピーターパンは「70歳が新しい60歳」となるように死亡率と虚弱率の両曲線が右にシフトするシナリオで、東アフリカの裸のモグラネズミ(サイズに対し約5倍長命)がその生物学的な実例である。スコットは自分の30歳の息子で思考実験をする。もし30歳で老化が完全に止まれば(英男性の死亡率0.07%)平均寿命は1462年、50歳で止まれば303年(1720年生まれ相当——南海バブル崩壊、スウィフトの『ガリヴァー旅行記』執筆開始と同じ年)、70歳で止まれば106年になる。100年生きたいというイーロン・マスクの願いを叶えるには「100歳が新しい70歳」にする必要がある計算だ。リバプールの98歳エイダ・キーティングが2017年、自分が介護を必要としてではなく80歳の息子トムを支えるために介護施設に入所し「母親でいることは決してやめられない」と語ったエピソードは、老いの多様性を静かに物語る。 ★ ウルヴァリンは老化を逆転させるシナリオで、2023年にサンディエゴのバイオテック企業Rejuvenate Bioがマウスの細胞をリセットして寿命を約10%延ばした事例や、若い血漿を移植するAlkahest、幹細胞で肝臓を再生するLygenesisが現実の対応物である。四肢を再生するメキシコのアホロートルや、老化の兆候をほぼ見せない淡水ポリプのヒドラも、この可能性を自然界で裏づけている。 ★ 四つのシナリオにドルの値をつけるため、スコットはCovid-19危機を導入として使う。英国は50万人超、米国は200万人超の死者が予測され、英GDPは1四半期で20%減——1709年の大寒波以来の落ち込みとなった。ニューヨーク州知事アンドリュー・クオモは「人の命の価値は計り知れない、以上」と言い切ったが、経済学は違う。ワイルドの『ウィンダミア卿の扇』はシニックを「すべての価格を知り何の価値も知らない人」と定義したが、経済学者が使う「統計的生命の価値(VSL)」——2022年のアメリカ政府算定で1人あたり1,140万ドル——は、この価格と価値の緊張そのものを扱う道具である。 ★ オックスフォード大学のマーチン・エリソン、ハーバード医科大学のデイビッド・シンクレアと共著し『Nature Aging』誌に発表した分析によれば、ストラルドブルッグ的に米国平均寿命79歳を1年延ばす価値は約10万ドルにとどまる(平均的な1年の価値である約15万ドルより低い、過去の年への「税金」として働くため)。一方ドリアン・グレイ的に健康寿命(米国では平均寿命79歳に対し69歳しかない)を1年延ばす価値は216,000ドルとその2倍を超える。さらにピーターパン的に老化そのものを遅らせて寿命を79歳から80歳に延ばす価値は18万ドル、健康寿命を1年延ばす価値は29万4千ドルに達し、四シナリオ中最も高い。ハムレットのクラウディウスが「悲しみは一つずつでなく大軍でやってくる」と言ったように、単一疾病を根絶するより老化そのものに介入するほうが「競合リスク」を越えて利益が大きくなる。 ★ この価値を社会全体に合計すると天文学的な数字になる。ピーターパン的な1年延長はほとんどの国でGDPの約3〜4%に相当し、これはCovid期に各国が寿命を守るために許容したGDP減少とほぼ同水準だ。恒久的な増加として割り引いて計算すると、アメリカでは51兆ドル(2021年GDP24兆ドルの2倍超)、イギリスで6.5兆ドル、日本で11兆ドルに達する。1922年のイギリスでは20歳が80歳まで生きる確率はわずか5分の1に過ぎず、長寿への投資は緊急性を持たなかった。しかし今日、新生児が80歳に達する確率は75%を超え、90歳に達する確率も50%を超えている。 ★ 100年前のイギリスでは8人に1人の子供が5歳まで生き延びられず、半世紀前は50歳の3人に1人しか80歳に届かなかった。だが今日は4人に5人の子供が80歳まで生きると見込まれる。アメリカの医療支出はGDP比で1950年の5%から2020年には20%まで上昇し、30%に達する可能性もある。それが病気を抱えたまま生かす支出ではなく健康を保つための投資であるなら、良い投資だとスコットは結論づける。健康寿命を延ばすほど長生きしたいという欲求が強まり、長生きしたいと願うほど健康であることの価値が増す——この好循環こそが、常緑のアジェンダが目指す新しい人類の段階なのである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ ■■第4章:健康革命——予防なきシステムから老化の科学へ ■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ テリー・ギリアム監督の映画『12モンキーズ』は、ブルース・ウィリスが過去に戻ってウイルスの起源を止めようとする物語だが、スコットはこれを健康革命の比喩として引く。天然痘はファラオ・ラムセス5世の死因とも言われ、致死率30%、過去100年で5億人を死なせたが、1980年5月8日にWHOが根絶を宣言した。1948年のNHS設立時、人口の半数は65歳になる前に感染症で死んでいたが、今日その割合は8人に1人に減り、死因の中心は非感染性疾患へ移った。しかし健康システムを構成する公衆衛生・医療・長期ケアの三要素は、いずれもこの転換に対応できていない。 ★ 高所得国の総医療支出のうち予防に充てられるのはわずか約2.5%である。米国では医療支出の約80%が臨床ケアに使われるが、健康結果への寄与はわずか16%に過ぎず、残りは社会経済要因と個人の行動が決めている。リーダーシップ専門家マーシャル・ゴールドスミスの「ここに至った方法では、そこには至れない」という格言どおり、介入中心のシステムを予防中心へ組み替える必要がある。 ★ 公衆衛生が対処すべき主要分野は喫煙・飲酒・大気汚染・孤独・運動不足・肥満の6つだ。喫煙は平均寿命を10年縮め20世紀に1億人を早死にさせたが、米国では1990〜2019年で喫煙死亡確率がほぼ半減した。世界の大気汚染は年間約900万人を死なせ認知症との関連も指摘される。ノリーナ・ハーツは著書『孤独な世紀』で、孤独が冠動脈疾患リスクを29%、脳卒中を32%、認知症を64%高めると示した。約100万人を対象にした肥満研究では、中程度の肥満(BMI30-35)で寿命が約3年、重度(BMI40-50)で10年縮み、英国だけで500億ポンド超の経済損失を生んでいる。ヒポクラテスの「食べ物をあなたの薬とせよ」という言葉が、今なお公衆衛生の指針である。 ★ オックスフォード大学のサー・ジョン・ベルは「持続可能な健康システムは世界に存在しない、すべてが崩壊する」と警告し、看護師や医師をただ増やす対応を第一次大戦のソンムの戦い(初日だけで英軍2万人が死亡)になぞらえる。フィリップ・ロスが小説『エブリマン』で「老いは戦いではなく、虐殺だ」と書いたように、同じ方法で人を送り込んでも結果は変わらない。実際、英国では2022年時点で成人介護職の空きが16万5千件に達し、40歳以上の5人に1人が家族の介護を担っている。英国の年間医療費は疾患なしで1,000ポンドだが3疾患以上では7,700ポンドに跳ね上がり、2020年の米国医療支出4.1兆ドルのうち予防に充てられたのは一人当たりわずか363ドルだった。 ★ 転機となりうるのが、100ドルで可能になったDNA解析とビッグデータだ。英国の「私たちの未来の健康」(500万人)、米国の「オール・オブ・アス」(100万人)という大規模な遺伝子データ収集イニシアティブは、全員に一律の予防ではなく個々のリスクに応じた予防を可能にする。シンガポールは2022年3月、病院への資金を患者数ではなく地域人口規模に基づく方式に変更した。保健大臣オング・イェ・クンの言葉どおり、これは病院に住民を健康に保つインセンティブを生む。ハーバード大学のデイビッド・カトラー教授が「医療において最も使われていない人は患者だ」と指摘するように、予防への転換は個人にも積極的な関与を求める。 ★ 見過ごされてきた領域が更年期である。通常45〜55歳、平均7年(最長15年)続くこの期間にエストロゲンが減少し、心血管疾患リスクは55歳を境に男女で逆転する。人間は更年期を経験する5種の哺乳類の一つ(他はベルーガ、イッカク、シャチ、パイロットクジラ)だが、その進化的理由さえ十分に解明されていない。1933年の20歳女性が55歳まで生きる確率は80%だったが今日は94%、55歳女性の残り平均余命は20年から28年に伸びた。オプラ・ウィンフリーは更年期を「他の誰かのニーズに焦点を当ててきた後の自分を再発見する瞬間」と表現している。 ★ 制度改革と並行して必要なのが、老化そのものの生物学の理解である。ニューカッスル大学のトム・カークウッド教授は1977年、自宅の風呂に浸かりながら「使い捨ての体」理論を着想した。生殖を担う生殖細胞は世代を超えて生き続けるが、それ以外の体細胞は生殖細胞という「手紙」を運ぶだけの「封筒」であり、進化はこの封筒の維持に投資する動機を持たない。この理論から、老化を構成する12の生物学的プロセス——ゲノム不安定性、テロメア減少、エピジェネティック変化、幹細胞枯渇、慢性炎症など——が「老化の特徴」として整理されるようになった。1960年代にレナード・ハイフリックが発見した、細胞分裂が40〜60回で限界に達するという「ハイフリック限界」は、この特徴の一つである細胞老化を説明する。 ★ 1993年、UCSFのシンシア・ケニオンは線虫の単一遺伝子daf-2を変えるだけで寿命を2倍にし、しかも健康なまま長生きさせることに成功した——ストラルドブルッグの虫ではなくピーターパンの虫を作り出したのである。ノーベル賞受賞者の山中伸弥は成人細胞を多能性幹細胞に戻す技術を確立し、これはウルヴァリン的な組織再生の可能性を開いた。老化細胞だけを標的にする新薬「セノリティクス」の開発も進む。スタンフォード大学のトム・ランド教授が言うように、老化は単純な因果連鎖ではなくフィードバックループのネットワークであり、これは金利や税率といった限られた手段で複雑な経済に働きかける政府の姿と似ている。 ★ この分野には二つの極がある。ハーバード医科大学のデイビッド・シンクレアは「老化は病気であり治療可能、生涯のうちに治療できる」と断言し、オーブリー・デ・グレイは「老化を克服するための世界的crusade」を掲げ「メトゥセラリティ」という造語まで作った。一方、ヘボリューション財団のフェリペ・シエラは「私はマウスではないのでこれらの製品を試さない」と述べる——マウスとはDNAの92%を共有するが、マウスでの成功が人間に転用される際の失敗率も約92%に達するからだ。WHOは2022年、国際疾病分類で「老年性痴呆」を「老齢」に置き換えようとしたが抗議を受け「加齢に伴う内的能力の低下」に修正した。シンクレアはこれを「老化を受け入れるという現在の見解は年齢差別そのもの」と批判する。 ★ 新薬開発には平均12年、13億ドルがかかり、前臨床試験を通過する薬は1000のうち1つに過ぎない。1922年に記載されたメトホルミンをジェロプロテクターとして検証するTAME試験は、ニール・バーザライが主導し65〜79歳の3,000人を6年間追跡する。ワシントン大学の「犬の加齢プロジェクト」のように、年間1,100億ドルが投じられる米国のペット市場は、寿命10〜13年という短さゆえに規制の少ない実験の場ともなっている。 ★ 1317年、教皇ヨハネス22世は「彼らは生産しないものを約束する」と錬金術師を非難したが、誇大広告の伝統は今も続く。オルシャンスキーは荒唐無稽な抗老化製品に「シルバーフリース賞」(賞品はスネークオイルのボトル)を贈り続けている。1920年代にはユージン・シュタイナッハが精管切除による若返りを提唱しフロイトやW.B.イェイツを顧客にしたが、その若返り理論自体は誤りだったにもかかわらず彼のホルモン研究はインスリンの発見に貢献した。サー・ジョン・テンプルトンが「今回は違う」を投資家にとって最も危険な四語と呼んだように、老化科学への懐疑は歴史的根拠がある。それでも2022年の長寿企業への投資は52億ドルに達し、老化を標的とした試験は前臨床99件、第3相まで9件が進行している。 ★ 2001年、生物学者スティーブ・オースタッドとジェイ・オルシャンスキーは、2150年までに150歳の人間が現れるかどうかを賭け、それぞれ年150ドル(後に300ドルに増額)を積み立て始めた。複利により基金は約10億ドル規模になる見込みだ。未来学者ロイ・アマラの「短期的には技術の影響を過大評価し、長期的には過小評価する」という法則を踏まえれば、いま最も現実的で価値が高いのはドリアン・グレイ的な健康寿命の改善であり、そこから先のピーターパン的な寿命延長は、まだ生物学だけが答えを知っている問いなのである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ ■■第5章:経済的利益をつかむ——長寿を支えるのは貯蓄か労働か ■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「65歳での引退は馬鹿げている、私が65歳の時まだニキビがあった」というジョージ・バーンズの軽口から章は始まる。メイン州のキャンプ場でシャワー掃除と芝刈りをする74歳のリチャード・デバーは「お金が必要だから働き続ける」と語り、同年代の米国人の6人に1人が実際に働いている。老後資金への対処は貯蓄を増やすか長く働くかの二択で、毎年の貯蓄率を1%ずつ30年上げるのと退職を6ヶ月遅らせるのが等価だと示すと、多くの人は渋々6ヶ月延長を選ぶ。2023年にマクロン大統領がフランスの定年を62歳から64歳に引き上げた際には100万人が抗議しパリで暴動が起きたが、それでも長寿の帰結として労働年数の延長から逃れるのは難しいとスコットは言う。 ★ 社会起業家マーク・フリードマンは「高齢者は世界で唯一増加している天然資源」と呼び、実際に過去10年間、50歳以上の労働者が豊かな国の雇用成長の大部分を占めてきた。しかしGDP=雇用×生産性という視点で見れば悲観論も根強い。国連予測では中国の人口が4分の1、日本がほぼ3分の1減少し、2070年までに両国の労働人口はそれぞれ22%、14%減る。チャールズ・グッドハートとマノージ・プラダンは著書『大人口逆転』(発表時グッドハート自身84歳)で高齢化とインフレ・賃金上昇の関連を論じ、イングランド銀行のアンドリュー・ベイリー総裁は「長期実質金利低下の約半分は高齢化の影響」と述べる。英国の貯蓄金利はインフレ調整後で1985年の約4%から2012年にゼロ、その後マイナスに転じた。 ★ この悲観論はトーマス・マルサスの再来だとスコットは指摘する。1798年の『人口の原理についてのエッセイ』でマルサスは人口が資源を圧倒すると警告したが、世界人口はマルサスの時代の約10億人から今日80億超に達し、産業革命由来の生産性向上が彼の予測を覆した。高齢化社会の悲観論も同じ罠に陥っている——生産性を高める投資さえできれば、長寿は負担ではなく配当になる。 ★ そのための政策手段は三つ、定年引き上げ、退職前の雇用率向上、高齢者の生産性向上だ。米国では65-69歳の就労率が3人に1人にとどまるが60-64歳では2人に1人であり、これを均等化すれば430万人・雇用3%増が見込める。しかしより効果が大きいのは50代の雇用維持である。米国では大卒男性でも50歳の19人中18人が就労するのに60歳では15人、65歳では10人に減り、非高卒者ではさらに急落する。50代を安定雇用で過ごせば64歳時点の就労確率は80%だが、50代の半分未満しか働けなければ42%、50代を無職で過ごせば62-66歳の就労確率はわずか4%に落ちる。50-64歳の雇用率を45-49歳並みに引き上げられれば米国だけで800万人・GDP年間1.15兆ドルの増加になる——定年引き上げより政治的摩擦が少なく効果の大きい選択肢だ。 ★ 高齢者の無用論には長い歴史がある。1905年、ジョンズ・ホプキンズ大学の共同創設者ウィリアム・オスラー卿は退任演説で、アンソニー・トロロープの風刺小説『固定期間』を引用しつつ60歳での強制退職とクロロフォルムによる安楽死さえ提案し物議を醸した。当時65歳男性の約4分の3(英米)がまだ働いていたが、ビスマルクのプロイセン社会保障(1889年)に続き英国国家年金(1908年)、米国社会保障(1935年)が導入されると就労率は急落し、1990年には米国6人に1人、英国12人に1人まで落ちた。今その振り子は再び戻り、米国4人に1人、英国7人に1人が働いている。 ★ 著者はロンドンビジネススクールの同僚リンダ・グラットンと2016年に著した『100年ライフ』で試算を示す。最終給与の50%を年金目標とし貯蓄率10%なら、70代前半まで働けば85歳まで安泰だが、100歳まで生きるつもりならば80歳まで働く必要がある。劇作家ジョージ・バーナード・ショーの「若さは若者に無駄にされる」をもじり、スコットは「余暇が高齢者に無駄にされている」可能性を問う。退職はもはや単一のイベントではなくフルタイムから段階的に縮小するプロセスとなりつつあり、極端な「ピーターパン」的世界——毎年の健康・賃金が変わらない世界——では退職の決断自体が起こらない。実際そう生きる大学教授も存在する。 ★ 著者の80歳の義母はロングアイランドで庭園ツアーガイドとして最近まで働いていた。これは「年齢に優しい仕事」の代表格であり、対極にあるのがコンクリート工事のような身体的重労働だ。調査によれば60代の労働者はスケジュールの自律性を得るために60歳未満より大きな賃金カットを受け入れ、身体的負担の軽い仕事への転換に対しても50代は18%、60代は30%の賃金カットを許容する。「労働の塊の誤謬」——高齢者の就労延長が若者の雇用を奪うという通念——は、過去の女性の労働参加拡大が男性の職を奪わなかった前例と同様に成り立たない。1990年から2020年でアメリカの職業の4分の3がより年齢に優しくなり、該当雇用は4900万人増加、50歳以上の労働力シェアは5人に1人から3人に1人に拡大した。ただし建設業・製造業・農業は依然として最も年齢に優しくない業界であり、BMWのバイエルン州ディンゴルフィング工場のように生産ラインを高齢者向けに再設計した事例が生産性向上を伴って広がりつつある。 ★ 2021年の米国では求人1150万件に対し失業者は600万人しかおらず、IMFは高齢労働者の撤退を人手不足の主因と分析した。マーク・ザッカーバーグは「若い人たちはただ賢い」と語ったが、ロジャー・フェデラーが41歳でラケットを置く一方、ウォーレン・バフェットは92歳でなお世界6位の富豪として現役を続ける。アインシュタインは26歳で特殊相対性理論を、ワトソンは24歳でDNA二重らせん構造を発表し、スティーブ・ジョブズは21歳でApple、ビル・ゲイツは13歳で独学したプログラミングから6年後にMicrosoftを創業した——しかし2000年のヒトゲノム解読を率いたクレイグ・ヴェンターとフランシス・コリンズはそれぞれ54歳と50歳であり、20世紀を通じて著名な発明の平均年齢は8歳上昇、2016年の米国イノベーター中央値年齢は47歳に達している。 ★ スミソニアン協会のチャールズ・グリーリー・アボットは101歳で太陽エネルギー研究の特許を取得し、テキサス大学のジョン・グッドイナフは97歳でリチウムイオン電池のノーベル化学賞を受賞して100歳でも研究を続けた。マックス・プランクは「科学は一つの葬式ごとに進歩する」と皮肉ったが、S&P500企業の新任CEO平均年齢は2005年の45歳から2019年には59歳に上昇し、トム・クルーズは59歳で『トップガン マーヴェリック』を大ヒットさせた。バイオメディカル研究チームの調査では、最も生産的な組み合わせは若手と経験豊富な研究者の混成であることが示されている。若さの神話と経験の価値、そのどちらか一方ではなく世代間の多様性こそが、長寿社会の生産性を支える鍵なのである。 ★ 20世紀は教育・仕事・退職という三段階の人生を前提にしてきたが、長いキャリアはこの構造そのものを崩す。スコットが個人への助言としてまとめるのは、健康・スキル・人間関係・目的を長期間維持するために意識的に節目を設ける「多段階化」、将来の転機に備えて財政・人脈・自己認識に余裕を持たせる「準備」、キャリア前半のスキルを放棄せず生涯にわたり更新し続ける「学び直し」、そして今の役割が衰退産業や年齢に優しくない分野に偏っていないかを問い直す「多様化」の四つである。長く働かねばならない時代において、キャリアの初期に選ぶ役割が後の移行にも活かせるかどうかは、若い読者にとって特に重い問いになる。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ ■■第6章:お金とあなたの人生——貯蓄・保険・年金の再設計 ■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「眠っている間にお金を稼ぐ方法を見つけなければ死ぬまで働くことになる」というウォーレン・バフェットの警句を掲げ、スコットは17-18世紀イギリスの追いはぎディック・ターピンやキャサリン・フェラーズが生んだ「お金か命か」という決まり文句を引く。今や私たちを脅かすのは強盗ではなく、長くなった人生の旅そのものだ。イソップ寓話「アリとバッタ」は年金計画への警句として使われがちだが、金融業界がこの物語を好むのは運用資産と手数料が増えるからでもある。長い人生が突きつける財政的な問いは三つ——どれだけ貯蓄すべきか、いつ貯蓄しいつ借りるか、そして寿命そのものの不確実性にどう対処するか——であり、単純な倹約の勧めでは答えられない。 ★ 米国の平均社会保障支給額は年21,408ドル、英国の最大年金は年10,600ポンドで、いずれも中央値収入の約3分の1にすぎない。米連邦準備制度によれば米国民の4分の3が退職貯蓄を持つが5人中3人が計画通りでないと感じ、英国では1250万人が貯蓄不足とされる。6つの主要経済国の分析では、典型的な個人は貯蓄を8〜20年も超えて生き延びる見込みだ。高いリターンを追う誘惑もあるが、暗号通貨テラフォーム・ラボのLunaトークンが2022年に1コイン119.18ドルから1セント未満へ暴落した例が示すように、リスク資産は諸刃の剣である。物理学者リチャード・ファインマンは「銀河には101!個の星がある……それは1000億にすぎない、国家の赤字より少ない」と皮肉ったが、世界経済フォーラムによれば米国だけで28兆ドルの年金資金ギャップがあり、2050年には137兆ドルに達する見込みだ。 ★ 公的年金の状況も厳しい。英国の公的部門年金債務は2.2兆ポンドで政府債務全体とほぼ同規模、カリフォルニア州公務員退職制度(CalPERS)は4400億ドルを運用しながら必要額の72%しか確保できておらず、ニュージャージー・イリノイ・ケンタッキー州にいたっては52%にとどまる。国際労働機関によれば世界的に退職年齢人口の4分の3しか財政支援を受けられず、195カ国中106カ国しか政府資金の年金を提供していない。米国社会保障基金は現在2.9兆ドルだが2035年に枯渇すると予測され、何も変わらなければ給付を20%削減するか増税するかの選択を迫られる。1983年の社会保障修正法が完全退職年齢を65歳から67歳に引き上げた際、その段階的導入には発表から44年もかかった。 ★ 著者はリンダ・グラットンとの共著『100年ライフ』で試算表を示す。退職後の年数と投資リターン率によって必要な貯蓄額は大きく変わり、20年の退職生活ならリターンゼロで20万ドル、5%リターンなら12.6万ドルで足りる。米国消費者金融調査によれば典型的な55-64歳の退職口座残高は約134,000ドルで、65歳の平均余命はさらに18.5年——年2%リターンでも月722ドルにしかならず、社会保障と合わせて中央値収入の約半分だ。長寿を研究するTIAA(米国教師保険年金協会)が会員に60歳の期待寿命を尋ねたところ、正しく答えられたのはわずか3分の1だった。マイク・タイソンの「誰もが計画を持っているが、口を殴られるまではそうだ」という言葉どおり、寿命・退職年齢・投資リターンという四つの未知数を正確に知ることは誰にもできない。 ★ 著者が『100年ライフ』で提示した解決策は、金融資産だけでなくスキル・健康・友情・目的意識・変化への適応力という「無形資産」への投資——経済学で言う「人的資本」——を厚くすることだ。米国の富の年齢分布は1990年の70歳以上19%・40歳未満13%から2022年には26%対6%へと変化し、長寿は世代間の富の格差を拡大させている。生命保険市場も変容しつつある。1583年の英国最初の生命保険契約は塩漬け業者ウィリアム・ギボンズのために結ばれたが、保険会社は太陰年(354日)とカレンダー年(365日)の11日差を理由に支払いを拒み、受取人が提訴して勝訴した歴史がある。フランスの死亡年齢分布では2020年の平均寿命82歳8ヶ月でちょうど死ぬ人は40人に1人しかおらず、最も一般的な死亡年齢は89歳だ。62歳未満で死ぬ人の割合は1813年の5人中3人から2020年には8人に1人に激減し、90歳以上で死ぬ人の割合は逆に100人に1人から4人に1人超へと急増した——生命保険の主戦場は「早死にへの備え」から「長生きしすぎることへの備え」に移っている。 ★ シェイクスピア『リア王』の「感謝のない子を持つことは蛇の歯よりも鋭い」という台詞を引きつつ、著者はアトゥル・ガワンデの『Being Mortal』にも触れ、財政計画は家族との率直な対話とも切り離せないと説く。アクチュアリー協会の「長寿イラストレーター」で著者夫妻を試算すると、どちらかが96歳まで生きる確率は50%だが二人とも86歳まで生きる確率も同じく50%にすぎない——長い人生は必ずしも同じ時間を共有できることを意味しないのである。 ★ 保険の本質はリスクの共有にある。70歳の20人がそれぞれ10万ドルを拠出し年10,000ドルの生涯収入を得る単純な年金の仕組みでは、早死にした人が長生きした人を実質的に支える。17世紀イタリアの金融家ロレンツォ・ディ・トンティがルイ14世に提案した「トンティーヌ」はこの原理を極限化したもので、生存者が多くを得るため他の加入者の死を望むという不穏な誘因さえ生む。米国では1905年に900万件のトンティーヌ契約が存在したが、横領や詐欺のスキャンダルを経て1906年に違法化された。逆に生命保険会社は契約者が長生きするほど得をするため、ジムの会員権や健康モニタリング機器の割引を提供し始めている——70歳の米国人女性が25万ドルの20年契約に年5,000ドルの保険料を払う実例が、健康と金融の利害が一致する未来を示している。 ★ ロンドンビジネススクールで著者が教える「長寿ビジネス」の授業が象徴するように、この変化は巨大な商機でもある。AARP(1958年設立)によれば世界の50歳以上の支出は45兆ドルのGDPに貢献し、米国では消費の56セントが50歳以上由来、仮に50歳以上だけの経済を作れば世界3位の規模(GDP8.3兆ドル)になる。英国でも消費支出の54%(3190億ポンド)が50歳以上によるもので、2040年には63%に達すると予測される。しかしMITのジョセフ・コフリン教授が「高齢者をニキビクリームにしか興味がないティーンエイジャーのように扱っている」と皮肉るように、日本で大人用おむつの販売が2011年以降赤ちゃん用を上回った例のような「悲劇から利益を得る」発想には注意が必要だとスコットは釘を刺す。高齢者の脆弱性やニーズだけに焦点を当てる「シルバー経済」ではなく、老い方そのものの変化を全世代にわたって支える「常緑経済」こそが、より大きく価値ある成長セクターになるはずだとスコットは締めくくる。 ★ 1959年にモータウン初のヒットとなったバレット・ストロング「Money(That's What I Want)」に象徴されるように、お金への欲求は普遍的だが、長寿時代のそれは単なる欲望ではなく生存の条件になっている。「大退職後の復帰」と呼ばれる2022年の潮流——生活費高騰の中で高齢者が労働市場に戻る動き——が示すように、貯蓄・保険・投資リターンのどれか一つに頼るのではなく、健康と生産性という人的資本を軸に複数の手段を組み合わせることこそが、財政的に長い人生を支える唯一の現実的な道なのである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ ■■第7章:人生の意味——なぜ延びた歳月は価値を持つのか ■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ イソップ寓話には、庭に金貨を埋めて毎日掘り起こして数えるだけの金持ちの話がある。使わない金は無価値だという教訓は、断食し高強度トレーニングに励みサプリメントの数値を監視するだけの喜びなき長寿レジメンにもそのまま当てはまるとスコットは言う。イタリアのことわざ「ア・タヴォラ、ノン・シンヴェッキア(テーブルでは老いない)」が示すように、食事や会話や仲間こそが人生に意味を与えるのであり、断食は寿命を延ばしてもJFKの言う「年に命を加える」ことにはならない。2022年のIPSOSモリ調査で英国民のわずか3分の1しか100歳まで生きたいと望まなかったのは、この意味の欠如への不安の表れだとスコットは見る。 ★ アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編「不死者」は、川の水で不死になったローマの兵士ルフスが死を取り戻す川を探す物語だ。同行者が実はホメロスだったと明かされ、「誰もが誰かではなく、一人の不死者はすべての人々である」という言葉が示すように、無限の時間の中ではバートランド・ラッセルの言うチンパンジーがいつかシェイクスピアを打ち出すように、あらゆる達成が凡庸になる。約3000年前の人物であるホメロスが本当に不死なら、太陽が燃え尽きる50億年後まで生きることになる——著者自身も愛するトッテナム・ホットスパーが10回連続優勝すれば退屈するだろうと冗談を言う。1965年に90歳で世を去ったチャーチルの最後の言葉は「もうすべてに飽きた」だった。 ★ シモーヌ・ド・ボーヴォワールは1970年の著書『老い』で「老いは生命のパロディである」と資本主義下の高齢者排除を告発し、「高齢者依存比率」という概念そのものを批判した。この告発は今なお有効だとスコットは言う。実際、老いに前向きな自己認識を持つ人は平均7.5年長生きするという研究がある。ゲーテは「思考する存在が非存在を想像するのは不可能」であり「誰もが自らの不死性の証拠を内に抱えている」と述べたが、ケンブリッジ大学のスティーブン・ケイブはこれを「死の逆説」と呼ぶ。ギザのピラミッドやギルガメシュ叙事詩から現代の億万長者の老化科学投資まで、私たちは死を否定し続けてきたが、セネカは「生きることを学ぶには一生が必要であり、死ぬことを学ぶにも一生が必要だ」と説き、モンテーニュは「哲学を学ぶことは死ぬことを学ぶことである」という逆の道を示した。 ★ 81歳で執筆し97歳まで生きたバートランド・ラッセルは、人間の存在を「最初は小さく岩や滝を情熱的に流れ過ぎ、徐々に広がり、痛みなく海に溶け込む」川に喩えた。米国最高裁判事に年齢制限がないことは、マーク・ザッカーバーグの「若い人々はただ賢い」という発言への静かな反証である。デヴィッド・ボウイはジギー・スターダストからシン・ホワイト・デュークへとペルソナを変え、老いを「本当の自分になるための驚くべきプロセス」と呼んだ——これは紀元前6世紀の詩人ピンダロスの「自分が何であるかを学び、それに従って生きなさい」に通じる。1970年代にドイツの心理学者ポール・バルテスが提唱したライフスパン発達理論は、発達が21歳や65歳で止まらないことを示している。 ★ 人生の段階は歴史的に構築されてきた。フランスの歴史家フィリップ・アリエスによれば子供時代が明確な発達段階と認識されたのは17世紀の西欧からであり、1905年にG.スタンリー・ホールが『青年期』を出版し、「ティーンエイジャー」は1930年代後半の新語だった。「中年の危機」という言葉も1965年、48歳のカナダの精神分析家エリオット・ジャックの造語にすぎない。シェイクスピアの『お気に召すまま』で道化ジャックが語る「人の七つの年齢」は、最後を「歯もなく目もなく味覚もなく」と締めくくるが、ドリアン・グレイ的な理想の老後ならその七番目でも歯と目と味覚を保てるはずだ。 ★ 1969年、精神科医ロバート・バトラーはワシントン・ポストのカール・バーンスタイン(後のウォーターゲート報道記者)とのインタビューで「エイジズム」という語を造った。AARPの推計では雇用における年齢差別は米国に年間約8500億ドルのコストを与えている。退役軍人レスター・ライトが2022年に100歳以上の部で100mスプリント新記録(26.3秒)を打ち立て、三浦雄一郎が80歳でエベレストに登り、アイリス・アプフェルが97歳でモデル契約を結んだ例は、エイジズムのステレオタイプを裏切る。教育レベルの世代間格差もすでに解消しつつあり、1950年に大学へ進んだ65歳以上米国人が25人に1人だったのに対し、今日の25-64歳の大卒率は65歳以上とほぼ変わらない。 ★ アリストテレスは高齢者を臆病で苦々しく話しすぎると評したが、スタンフォード長寿センターのローラ・カーステンセン教授は逆の実証を示す。彼女の「社会情動的選択理論(SST)」によれば、幸福感は中年期を底として老年期に回復するU字型を描き、残り時間が短くなるほど人は身近な関係と感情的満足を重視する「ポジティビティバイアス」を持つ。ただしカーステンセンは「80歳になったら新しい『古い友人』は作れない、数字が単純に合わない」とも指摘する。米国では80歳の人が90歳まで生きる確率は40%だが、80歳の友人同士が共に90歳まで生きる確率は6分の1しかなく、年齢差のある友情への投資——映画『カラテキッド』や『アップ』が描くような世代間の絆——が、このリスクを和らげる鍵になる。 ★ 26カ国を対象にした文化比較研究では、老いへの態度は単純な東西の対立ではなく、その国の65歳以上人口比率が高いほど否定的になるという傾向が最も強く現れ、儒教文化圏の日本が西洋的に否定的な理由を説明する(日本語の新語「老害」がその表れだ)。キケロは『老年について』で老いた元老院議員カトーに「偉大なことは筋力やスピードでなく反省、人格の強さ、判断力によって成し遂げられる」と語らせたが、ケンブリッジの哲学者G.E.ムーアが指摘した「自然主義的誤謬」——自然だから良いと決めつける誤り——には注意が必要だとスコットは釘を刺す。老年を年齢という固定枠で語るのをやめる試みとして、セントニーブルック大学のウォーレン・サンダーソンらが国連に採用させた「予測年齢」概念があり、これによればスウェーデンの老年開始年齢は1851年の66歳から2022年には80歳へと動いている。 ★ オックスフォード・オール・ソウルズ・カレッジの哲学者デレク・パーフィットは、火星へのテレポーテーション思考実験を通じて、アイデンティティは身体の連続性ではなく心理的連続性にあると論じた——毎日同じ服・同じ食事で決断の時間を節約し、歯を磨きながら哲学論文を読んだという逸話を持つ彼自身、「身体的アイデンティティが重要だと信じていたときガラスのトンネルのようだったが、見方を変えたとき壁が消え、開けた空気の中で生きている」と1984年の著書『理由と人』に記した。マルセル・プルーストが『戦争と平和』の2倍の長さでギネス世界記録に認定された『失われた時を求めて』の最終巻『見出された時』で老いを最も長く抽象的な概念として描いたように、私たちは老いた自分を今日の自分と結びつけて考えるのが難しい。だからこそラッセルの川の比喩に戻る意味がある——流れの速さは人それぞれでも、私たちは皆、同じ方向へ向かっているのである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ ■■第8章:世代間の課題——なぜ若者は長寿を自分ごとにできないのか ■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ スコットは三つの20歳の誕生日を並べる。1945年2月、英海軍の掃海艇に乗っていた父の20歳(同月ヤルタ会談)。1985年、ポール・ハードキャッスルの「19」やチェルノブイリ、マラドーナの「神の手」に彩られた著者自身の20歳。2019年、西ロンドンが記録的猛暑33.3°Cを記録しマイクロソフトがOpenAIに10億ドルを投じた息子の20歳——翌年、彼はパンデミック下の就職難に卒業して直面した。バッキンガム宮殿はこの「渋滞効果」の象徴だ。2022年に96歳で没した英史上最高齢の君主エリザベス2世のもとで、チャールズ3世は70年待って即位した、史上最も長く待たされた王位継承者となった。 ★ 1920年代のハンガリーの社会学者カール・マンハイムは、世代をコホート(生年)・時代・ライフサイクルという三要素の相互作用として定義した。父の20歳が配給でやせ細った戦時中の掃海艇上だったのに対し、初代iPhone発売時に8歳だった「デジタルネイティブ」の息子の20歳はコロナ禍のロックダウンに形作られた——同じ20歳でも世代としてはまったく異なる。もっとも、「サイレント世代」「ベビーブーマー」「ジェネレーションZ」といったラベルは、ロンドン大学キングス・カレッジのボビー・ダフィーが著書『世代神話』で指摘するように、社会変化を「エスカレーター」——若い世代が先に乗るが他の世代も遅れて続く——として捉え損なわせる罠でもある。 ★ 1945年の父が80歳まで生きる確率は4分の1未満だった(実際77歳で死去し統計と一致する)。2019年の息子は英国統計局データで80歳到達確率4分の3、104歳到達確率10分の1という、まったく違う手札を持つ。97歳の俳優ディック・バン・ダイクは「もしこんなに長生きすると知っていたら、もっと自分の体を大切にしていた」と語ったが、F・スコット・フィッツジェラルドの「ベンジャミン・バトンの奇妙な事件」の逆年齢とは違い、現実の私たちは未来の自分を想像しにくい。著者は前著『100年ライフ』(日本では『ライフシフト』)の児童版や、MITエイジラボの高齢体験スーツAGNES、俳優クリス・ヘムズワースがAGNESを試着し「このスーツは最悪だ」と語ったナショジオ・ドキュメンタリー『リミットレス』を、長寿リテラシーを若者に伝える試みとして紹介する。 ★ 「OK boomer」という言葉は2019年末にTikTokで拡散し、米最高裁や『ジェパディ!』にまで登場する現象となった。ある18歳は大学学費や環境問題、議会の高齢白人男性偏重への不満を率直に語る。しかし年長者による若者批判に新しさはなく、紀元前8世紀のヘシオドスはすでに「今日の軽薄な若者に依存している限り希望はない」と書き、ジョージ・オーウェルは「各世代は自分たちが前の世代より賢いと考える」と皮肉った。デイビッド・ウィレットは2010年の著書『The Pinch』で資源を食い尽くすバッタの群れにベビーブーマーを喩え、フィリップ・ラーキンの詩「親は君を台無しにする」を引いたが、2035年に英国のベビーブーマーが大量に80代へ突入する「ピンチポイント」が迫っているとも警告した。 ★ イェール大学の経済学者成田悠輔(37歳)は2021年、日本のウェブサイトで「高齢者の集団自殺・集団切腹」という挑発的な提案をして物議を醸した——高齢者の自発的安楽死制度を描いた映画『プラン75』が示すように、こうした発想は決して空想の産物ではない。背景には現実の懸念材料がある。米国の20-39歳の肥満率は1988-94年の約5人に1人から倍増し、子供の肥満率も10人に1人から5人に1人に上昇した。過去10年で米国ティーンのうつ病率と大学生のメンタルヘルス問題は2倍以上に増え、3260万人の米国成人がアルコール使用障害を抱え、中年層の「絶望の死」は100万人を超えている。 ★ 所得の世代間格差も広がっている。1955年生まれのベビーブーマーは1975-2020年の45年間に米国年2%・英国1.5%のGDP成長を経験し所得を米2.5倍・英2倍に伸ばしたが、1980年生まれのミレニアル世代は米国年1%・英国0.4%の成長しか享受できず、同じキャリア期間で所得は米国+50%・英国+20%にとどまる見込みだ。住宅危機はさらに深刻で、英国の住宅価格は平均年収の4倍から2022年末には9倍に上昇し、頭金必要額は年収の40%から90%に膨らんだ。1965年生まれが平均21歳で住宅を購入したのに対し、1999年生まれの息子は35歳まで待たねばならないと予測され、25-34歳の住宅所有率は50%から30%へ落ち込んだ。一方65歳以上の住宅所有率は1961年の3人に1人から現在4人に3人へ上昇している。 ★ それでも家族はこの緊張を埋めている。ロンドン大学インペリアル・カレッジのジェームズ・セフトン教授によれば、英国では年間約1000億ポンド(GDPの約4%)が遺贈され、さらに約110億ポンドが生前贈与として渡り、「ママとパパの銀行(BOMAD)」という略語まで生まれた。育児支援約1320億ポンドと介護支援370億ポンドを合わせた高齢世代の非公式な支援は約3000億ポンドに達し、これは英国政府の年金・社会保障支出の総額を上回る。 ★ 政治の高齢化も焦点となっている。米国では上院・下院議員7人が50年以上在職し、2020年選挙はバイデン(77)対トランプ(74)、当時の下院議長はペロシ(82)だった。約3分の2の米国人が公職への年齢制限を支持し、元サウスカロライナ州知事ニッキー・ヘイリーは75歳以上の候補者への「精神的能力」テストを提案しつつ「アメリカはまだピークを過ぎていない、政治家たちがそのピークを過ぎているだけだ」と述べた。しかしニュージーランド議会で25歳のクレイ・スワーブリックが52歳のトッド・ミュラーの野次に「OK、ブーマー」と返した一件は、実は世代対立の物語を裏切る。2021年のピュー・リサーチによれば気候問題を最優先とする割合はZ世代67%、ミレニアル71%に対しベビーブーマーも57%あり、個人的最重要関心事とする割合はミレニアルとブーマーでほぼ差がない(33%対30%)。96歳のデイビッド・アッテンボロー卿の「私たちは十分に急進的であることができない」という言葉は、20歳のグレタ・トゥーンベリが言ってもおかしくない。 ★ 国際的に見れば高齢化が必ずしも政治の高齢化を意味しないこともわかる。1980年代の欧州指導者の平均年齢67歳は現在53歳まで下がり、フィンランドのサンナ・マリンは2019年に34歳で首相に選出され、英国のリシ・スナックは42歳で1812年以来最年少の首相となった。国連の人口予測(図7)が示すのは、米国が若者優位のピラミッドから年齢の平等な分布へ移行しつつある姿であり、80歳超の米国議員が全体の3.3%と人口比3.8%とほぼ変わらない現実は、しばしば語られる「高齢者支配」の懸念を裏切る。スコットが結論として掲げる処方箋は、生産性向上への投資、若者・中年層がドリアン・グレイ的に健康寿命を寿命に近づけられるよう支援すること、そして住宅供給の拡大と政策の世代別財政影響を政府が定期的に報告する透明性である。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ ■■第9章:期待の見直し——億万長者の実験室と人口の倫理学 ■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「夢を実現する最良の方法は、目を覚ますことだ」というポール・ヴァレリーの言葉を、コリン・パウエルの「夢は魔法で現実になるわけではない、汗と決意と努力が必要だ」が補う。英国は最良の実践から5年、米国は8年以上遅れているにもかかわらず、Covid期に巨額のGDPを犠牲にした対応とは対照的に抗議はほとんどない。日本の70歳女性の残り平均寿命がすでに20年を超えることを踏まえ、経営学者ピーター・ドラッカーの「測定されるものは管理される」を引きながら、スコットは健康寿命を国の公式指標にすべきだと提言する。 ★ 人類の平均寿命は青銅器時代の18歳からローマ帝国期の22歳、13-14世紀イングランドの33歳、1776年のマサチューセッツの36歳を経て2021年には世界で71歳を超えた。第一の長寿革命の達成に20万年を要したことを踏まえれば、1922年のノーベル賞物理学者ニールス・ボーアの「予測は非常に難しい、特に未来に関しては」という警句どおり、第二の長寿革命の速度予測には慎重であるべきだとスコットは言う——彼自身、短期的には悲観的、長期的には楽観的な立場を取る。 ★ 必要な規模の政策としてスコットが挙げるのが7400億ドル規模の米国「インフレ抑制法」だ。ノーベル賞経済学者ロバート・フォーゲルは医療費支出を「問題ではなく勝利」と見なしたが、現行の特許制度はその方向に逆行する。特許は20年間有効でも承認までに10-15年かかり実質的な利益期間は5-10年しかなく、これが末期治療薬への偏りを生む——肺癌治療薬アバスチンは平均余命を10.3ヶ月から12.3ヶ月に延ばすのに42,800〜55,000ドルかかる。『ジャングル』の著者アプトン・シンクレアの「人は、自分の給料がそれを理解しないことに依存しているとき、何かを理解させるのは難しい」という言葉が、この構造的な抵抗を言い当てている。 ★ ジェフ・ベゾス、セルゲイ・ブリン、ピーター・ティールら億万長者が老化科学に投資するのは偶然ではない。19歳で最初のバイオテク企業を興した44歳の起業家クリスチャン・アンガーメイヤーは「ヨットを買えばもっと大きなヨットを買えるが、お金があなたの人生を変えられる範囲は実は非常に限られている」と、パスカルの賭けに似た論理を語る。2023年にバイラル化した45歳のバイオテクCEOブライアン・ジョンソンは30人の医師団の監督下で年間約200万ドルを投じ、毎朝5時起床、午前11時以降絶食、1日1,977カロリー、1日100錠以上の薬という極端な生活を送る。 ★ しかし億万長者主導の老化研究には落とし穴がある。稀少疾患向けのゾルゲンスマ(200万ドル超)が社会的に許容されるのとは違い、全人類に影響する老化への極端な延命研究は国家医療予算にとって危険な偏りを生みかねない。ニール・バーザライのTAME試験は3000万〜5000万ドルの資金を必要としFDA承認済みにもかかわらず未着手のままだ。彼は「億万長者たちは月面探査のような壮大な成果を求める」「TAMEは月面探査ではなく政治的成果に関するものだ」と指摘する。 ★ だからこそ政府主導の「ムーンショット」が必要だとスコットは説く。グーグルの研究開発ラボが老化研究に取り組むカリフォルニア・ライフ・カンパニー(カリコ)はその一例であり、アポロ計画(1960-73年に258億ドル、現在価値で2800億ドル相当)やマンハッタン計画、インターネットの起源となったARPANETのように、純粋な利益動機を離れた長期の政府投資こそが老化生物学の基礎研究を前進させる。 ★ 人口の問題も避けて通れない。P・D・ジェームズの1992年小説『人間の子供たち』は精子数の突然の消失で人類が滅びるディストピアを描いたが、現実にも過去50年で男性の精子数は50%以上減少したと推定される。共働き世帯の増加や都市部の住宅費高騰が出生率を押し下げ、日本では2023年に空き家が1000万戸に達すると予想される一方、政府は東京からの移住家族に1人当たり8000ドルの現金助成金を出す。生物学的には長寿の動物ほど子孫が少ないというトレードオフがあり、55歳以上の米国人の6人に1人が子供を持たない現実とも符合する。 ★ 出生率低下への懸念は環境問題とも交錯する。子供を一人減らせば年間58.6トンのCO2相当を削減できるという試算が「バースストライク」運動を生んだが、これはマルサス主義の現代版に過ぎないとスコットは見る。平均寿命80歳・年間出生200万人の社会で寿命が100歳に延びても人口増加は最終的に25%(年率約1%)にとどまり、出生率低下がその増加を相殺する——ただし仮に寿命が500歳に跳ね上がれば420年で人口は10億人規模に達する。哲学者デレク・パーフィットが「忌まわしい結論」と呼んだ人口倫理のパラドックスや、G.E.ムーアの自然主義的誤謬を踏まえれば、70-80歳が「自然」な寿命だという前提そのものが再検証を要する。持続可能な生き方さえできれば、人口が80億でも100億でも本質的な問題ではないとスコットは結論づける。 ★ 本章の最後にスコットが示す個人向けの六原則は、長寿について学ぶこと、未来の自分と友達になること、過去の世代とは異なる方法で年を重ねること、今すでに効果が実証されている方法を使いながら新しい知見に目を配り続けること、後年の可能性を過小評価しないこと(アイルランドのことわざ「年を取ることを恨むな、多くの人がその特権を奪われている」)、そして恩返し・恩送りとして自らが変化のリーダーシップを取ることである。社会が新しい現実に適応する速度を、あなた自身の行動が上回ることができる——それが常緑の時代の出発点になる。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ ■■エピローグ:愛の力 ■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 1938年に始まり85年続くハーバード成人発達研究は、当初のハーバード大学2年生268人(後のJFKを含む)とボストン内市街地域の恵まれない男性465人を、今や3世代2000人以上に拡大して追跡してきた。その核心的な結論はシンプルだ——「健康と幸福を最も確実に保証する一つの選択は、あらゆる種類の温かい人間関係を育むことだ」。50年間60万人以上を対象にした別の研究では未婚者の死亡率が約15%上昇し、高齢のカップルでは一方が死去すると残された側が3ヶ月以内に死ぬリスクが最大3分の2も高まる「未亡人・未亡夫効果」が確認されている。ウィリアム・ブレイクが「無垢の予兆」で「喜びと悲しみは巧みに織り合わされている」と詠んだように、長い人生は浮き沈みを増やすが、良好な人間関係こそがそれを乗り越える力になる。 ★ 執筆を終えようとする今、スコットは妻ダイアン、オーストラリアで精神科医として働く娘、二人の息子、そして7歳の頃からの友人リチャードとのトッテナム・ホットスパー観戦を心待ちにしていると綴る。生きていれば父は97歳、母は95歳、生後数日で亡くなった双子の兄デイビッドは57歳になっているはずだ。詩人ロバート・フロストは1874年に生まれ88歳で世を去るまでに、11歳で父を、63歳の妻を、6人の子のうち4人を自らの存命中に失った。それでも85歳のフロストは人生の知恵を問われ、「人生は続いていく」と三語で答えた。常緑の命令はこの言葉に同意しつつ、一つのひねりを加える——人生は続いていく、そして今日それは、私たちの誰にとっても、より長く続いていくのだ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■■ ■■〔3〕選書結語・統合総括 ■■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 本書全体を貫く対立軸は一つしかない。「高齢化社会」という物語と「常緑社会」という物語のどちらで長寿を語るか、である。前者は65歳以上の人口比率という静的な断面図に焦点を当て、老いを不変の「状態」として扱い、増える高齢者をどう支えるかを問う。後者は同じ現象を、若者が非常に高齢になることを期待できるという人間の条件そのものの変化として捉え、老いを絶えず進行する「プロセス」として扱い、誰もがどう老いるかを変えられるかを問う。この一文の視点の転換が、健康・経済・世代間関係・人生の意味という一見ばらばらな各章を、実は一本の論理でつないでいる。 ★ その論理を具体化するのが、ストラルドブルッグ・ドリアン・グレイ・ピーターパン・ウルヴァリンという四つの文学的シナリオである。単に寿命が延びて健康が伴わない道(ストラルドブルッグ)は、VSL分析上も最も価値が低く、過去の年数への「税金」として機能する。健康寿命だけが寿命に追いつく道(ドリアン・グレイ)が現実的に最も価値が高く、老化そのものを遅らせる道(ピーターパン)はさらにその先にある理想であり、老化を逆転させる道(ウルヴァリン)はまだ実験室の中にある。この序列は本書全体の羅針盤であり、医療制度の予防シフト、労働市場の年齢に優しい再設計、年金・保険の再構築、そして老いをめぐる文化の転換という各章の処方箋は、すべて社会を「ドリアン・グレイ」の方向へ押し出すための具体策として位置づけられる。 ★ 本書がもう一つ突き崩すのは、教育・仕事・退職という三段階の人生観そのものである。年齢(暦年齢)・生物学的年齢(健康状態)・死生学的年齢(残り時間)という三つの異なる物差しを持ち込むことで、同じ暦年齢の人でも老いの経験がまったく異なりうることを本書は繰り返し示す。多段階のキャリア、退職前に分散される余暇、世代を超えた友情への投資、心理的連続性としてのアイデンティティ——これらはすべて、三段階の人生が前提としてきた「若者は投資する側、高齢者は引退する側」という固定観念を解体する試みである。 ★ 本書が突きつける最終的な問いは、「増える高齢者をどう支えるか」ではなく「より長くなった人生を、すべての年齢の人がどう生きるか」である。読者への実践的な示唆は明快だ。個人としては、自分の死生学的年齢を意識し、健康・スキル・人間関係・目的意識という無形資産に若いうちから投資し、後年の可能性を過小評価しない習慣を持つこと。組織としては、年齢に優しい職場設計と予防中心の健康投資に踏み出すこと。そして社会としては、健康寿命を公式指標として測定し、政策の世代間の財政的影響を透明化し、老化生物学への政府主導の「ムーンショット」投資を政治的に正当化すること。長寿はもはや高齢者だけの課題ではなく、生まれたばかりの子供から今日老いを実感し始めた読者自身まで、すべての世代が共有する新しい人類の条件である。それにどう向き合うかは、統計や制度の問題である以前に、今日のあなた自身の選択の問題なのである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■■ ■■〔4〕選書コメント ■■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ●今週の選書について 本書は、ロンドンビジネススクールの経済学教授アンドリュー・J・スコットが、長寿を「高齢者の問題」ではなく「すべての年齢の人が向き合う人類の条件の変化」として捉え直した一冊です。著者はベストセラー『100年ライフ』(日本では『LIFE SHIFT』)の共著者としても知られており、本書はその延長線上にありながら、より経済学的な分析と老化科学の最新知見を交えた集大成といえる内容になっています。 構成は三部に分かれています。第1部では、なぜ長寿がAIや気候変動と並ぶ重要な課題なのかを、人口統計と生物学の両面から解説します。第2部では、健康システム・労働市場・年金金融という、長寿を実際に支えるための具体的な制度をどう変える必要があるかを論じます。第3部では、老いの心理学、世代間の公平性、そして人生の意味という、より個人的で哲学的なテーマに踏み込みます。 本書の際立った特徴は、ストラルドブルッグ・ドリアン・グレイ・ピーターパン・ウルヴァリンという四つの文学的な人物像を軸に、「どう老いるか」の違いを経済的な価値(ドル換算)として比較して見せる手法です。単なる読み物としての面白さと、実際の政策判断に使える定量分析とが同居している点は、他の長寿本にはあまり見られない強みだと感じました。 ★ 一方で、本書は決して楽観一辺倒の本ではありません。米国とイギリスにおける平均寿命の停滞、肥満やメンタルヘルスの悪化、住宅価格の高騰による若年層の困窮など、長寿の恩恵から取り残されつつある現実にも正面から向き合っています。億万長者たちの老化研究への投資についても、その意義を認めつつ「全人類に恩恵をもたらす研究になっているか」という批判的な視点を忘れていません。 著者自身の家族の物語——戦時中に20歳だった父、著者自身の20歳、そしてパンデミック下で大学を卒業した息子の20歳——を随所に挟みながら論を進めるスタイルも印象的です。抽象的な統計の話が、常に「あなた自身や、あなたの家族の話でもある」という実感を伴って読者に届く構成になっています。 長寿や老後資金、キャリアプランニングに関心のある方はもちろん、単純に「自分はどう年を重ねていきたいか」を考え直したい方にも広くお勧めできる一冊です。 ●「老化」ではなく「老い方」を選ぶという視点 本書を読み終えて最も強く残るのは、「長寿は問題ではなく、老い方こそが問題である」という一貫した主張です。私たちはつい、寿命が延びること自体を漠然と恐れたり、逆に手放しで喜んだりしがちですが、著者はその両方を退けます。大切なのは、健康を伴わずに長く生きるのか、健康寿命を寿命に近づけるのか、あるいは老化そのものを遅らせるのか——その選択の中身であり、単なる年数の増減ではないのです。 もう一つ印象的だったのは、「暦年齢」「生物学的年齢」「死生学的(死までの残り時間から見た)年齢」という三つの物差しの提示です。同じ50歳であっても、この三つの年齢の組み合わせ次第で、取るべき行動は大きく変わってきます。年齢を単一の数字として扱う私たちの日常的な思考習慣そのものを問い直させてくれる視点でした。 読後、老後の心配事として漠然と抱いていた「お金」「健康」「孤独」といった不安の輪郭が、少しはっきりした気がします。長い人生をどう生きるかという問いに、唯一の正解はありません。しかし本書は、その問いに向き合うための地図と、いくつかの信頼できる道具を手渡してくれる一冊だと思います。